十一 - 19
ムスはたしかだが、僕のはすこぶる不慥(ふたしか)だよ。これからがいよいよ巧妙なる詐偽に取りかかるのだぜ。よく聞きたまえ月十円ずつで六百円なら何年で皆済(かいさい)になると思う、寒月君」
「無論五年でしょう」
「無論五年。で五年の歳月は長いと思うか短かいと思うか、独仙君」
「一念万年(いちねんばんねん)、万年一念(ばんねんいちねん)。短かくもあり、短かくもなしだ」
「何だそりゃ道歌(どうか)か、常識のない道歌だね。そこで五年の間毎月十円ずつ払うのだから、つまり先方では六十回払えばいいのだ。しかしそこが習慣の恐ろしいところで、六十回も同じ事を毎月繰り返していると、六十一回にもやはり十円払う気になる。六十二回にも十円払う気になる。六十二回六十三回、回を重ねるにしたがってどうしても期日がくれば十円払わなくては気が済まないようになる。人間は利口のようだが、習慣に迷って、根本を忘れると云う大弱点がある。その弱点に乗じて僕が何度でも十円ずつ毎月得をするのさ」
「ハハハハまさか、それほど忘れっぽくもならないでしょう」と寒月君が笑うと、主人はいささか真面目で、
「いやそう云う事は全くあるよ。僕は大学の貸費(たいひ)を毎月毎月勘定せずに返して、しまいに向(むこう)から断わられた事がある」と自分の恥を人間一般の恥のように公言した。
「そら、そう云う人が現にここにいるからたしかなものだ。だから僕の先刻(さっき)述べた文明の未来記を聞いて冗談だなどと笑うものは、六十回でいい月賦を生涯(しょうがい)払って正当だと考える連中だ。ことに寒月君や、東風君のような経験の乏(とぼ)しい青年諸君は、よく僕らの云う事を聞いてだまされないようにしなくっちゃいけない」