十一 - 16
解釈だ」と独仙君が云い出した。こんな問題になると独仙君はなかなか引込(ひっこ)んでいない男である。「苦沙弥君の説明はよく我意(わがい)を得ている。昔(むか)しの人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己れと云う意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬な事はない。三更月下(さんこうげっか)入無我(むがにいる)とはこの至境を咏(えい)じたものさ。今の人は親切をしても自然をかいている。英吉利(イギリス)のナイスなどと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっている。英国の天子が印度(インド)へ遊びに行って、印度の王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかずに、つい自国の我流を出して馬鈴薯(じゃがいも)を手攫(てづか)みで皿へとって、あとから真赤(まっか)になって愧(は)じ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指で馬鈴薯を皿へとったそうだ……」
「それが英吉利趣味ですか」これは寒月君の質問であった。
「僕はこんな話を聞いた」と主人が後(あと)をつける。「やはり英国のある兵営で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事がある。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢(ガラスばち)へ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしまった。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフ ンガー·ボールの水を一息に飲み干したそうだ。そこで並(な)みいる士官も我劣らじと水盃(みずさかずき)を挙げて下士官の健康を祝したと云うぜ」